どこか懐かしく、ずっと昔に聴いたアメリカンポップスの響きを、イントロを聴いた時から感じました。アルバム「小田日和」の2曲目にある「この街」。何だろう、何だろう、と気になっていました。
ギターやピアノでなく、ウクレレが軽やかに刻む3拍子のワルツ。合いの手に入る、"パパパッ パパパッ"という乾いたトランペットの三連符。小田和正 YouTube Official Channel」に以前、「『小田日和』制作日誌」という動画を偶然見つけて、とても面白く興味深いものでした。そこで、作曲者本人が「この街」について、「バカラック風に」という話をしていたのでした(私の記憶が正しければ)。
バート・バカラックは(米国の作曲家)、私は中学校時代にテレビで初来日コンサート(1971年)を聴いて、彼の独特の音楽に心を奪われました。オフコースのアルバムにも、確か「ワインの匂い」だったかに小田和正さん、相棒の鈴木康博さんのプロフィールがあり、そこに好きな作曲家として、レノン&マッカートニー、メッシェル・ルグランらとともに、バカラックの名前が記されていたと思います。
小田さん自身の言葉に触れて、イントロのウクレレは、「雨にぬれても」~「Rain Drops Keep Fallin' On My Head」(映画『明日に向かって撃て!』主題歌)の作曲家へのオマージュなのではないか、と合点がいきました。「この街」のその後の展開にも、やはりバカラックの名曲である「This Guy」や「 Living Together, Growing Together」の世界に通じるような、のどやかでヒューマンな響きが感じ取れます。
小田さんの曲と言えば、例えば「哀しいくらい」(1981年の『over』)、「緑の日々」(84年の『The Best of My Life』)のような、近寄りがたいほどに張り詰めた高音がいまだ頭を離れませんが、「この街」の歌い手はその対極のようにリラックスし、大人の優しさに満ちています。
そんなメロディーとサウンドに乗せて歌われる詞は、やはり「雨」という言葉で始まります。「雨は窓を叩き 風はさらに激しく」「人生は思ってたよりも ずっと厳しく」「夢は遠ざかり なんか切なくなる」と、詞だけを読めば暗く悲壮感がにじんできます。が、詞はそこから、まるで雨雲の切れ目からさっと陽ざしがあふれるように、「そんな時は迷わず おもういちど夢を追いかければいい」「何度でも 何度でも また追いかければいい」と大きく温かな励まし、おおらかな救いの歌へと一気に場面転換します。実にスケールの大きな歌だと思います。
さらに2番の詞は、人生に悔い悩む人の心の内へと入っていきます。「心に残る伝えられなかった想い 愛の言葉も 別れの言葉も ありがとうのひとことも」。誰の心にもある、あの時に伝えていれば、というほろ苦く切ない、取り返しのつかない追憶の痛みでしょう。
私は、オフコースの「老人のつぶやき」(75年の『ワインの匂い』の最後の曲)を思い起こしました。そこでは、ある老人がやがて来る死を前にした黄昏の中で、自分なりの生き方に悔いはないけれど、「ただ、あの人に私の愛を伝えられなかった それが心残りです」「好きだったあの人もいまでは死んでしまったかしら」とつぶやきます。この曲を聴くたびに、私はまだ20代でしたが、まるで幼い失恋の痛みのように、誰の人生の最期にもそんな切なさ哀しさが待つのだろうと気持ちが沈みました。
でも、「この街」の詞はそこからまた、聴く人の心の扉をまばゆい光とともに開きます。「その想いを 今 伝えればいい」「いつだって決して 遅すぎることはない」と。
ここから曲は、聴き手の視点を「この街」へと向けさせます。「この小さな世界 ささやかな人生 愛すべき人たち」が共に生きる街。バカラックの「 Living Together, Growing Together」(映画『失われた地平線』のナンバー)と響きあう世界です。そして、あなたが決して独りではないことを思い出して、「もういちど夢を追いかければいい 何度も何度でも また追いかければいい」と語り掛けます。
人生に何か悔いを残した人だけではなく、いま闘病している人、あったはずの未来を断念した人、つらい挫折をした人、愛を告げられなかった人、仕事をやむなく離れた人ーそうした人々、つまりは私たちみんなへの励ましであり、60代後半になった小田さんの人生経験からの言葉でありましょう。
5月7日にNHKの「100年インタビュー」を観ました。「時は待ってくれない」のタイトルで小田さんの半生と音楽を解き明かしていくという番組でしたが、そこで人生の一番大きな節目として語られたのが、98年に遭遇した自動車事故でした。「死んでもおかしくなかった。あの曲もこの曲も作ってなかった」というほどの苦難から彼を救ったのは、「生きてくれてるだけでよかった」と心配してくれたファンだったそうです。
それまで、歌はステージやアルバムから聴かせるものだったのかもしれませんが、事故をきっかけに、どうしたら気持ちを返せるかと考え、コンサートでお客の中に入っていく「花道」を作ったといいます。すると、「ほんとにうれしい顔をしてくれるんだ。昔は、恥ずかしく照れくさく、それが抵抗なく手を振れるなんてありえなかった」という自身の大転換と言える変化になり、「生きててくれてよかった、という言葉で素直になれた」と語りました。タイトルとは逆に、誰にでも「時は待っててくれるんだ」とも。
「この街」とは、そうした作者の人生の歩みから生まれ、巡り合った人々の一人一人を誰も孤立させず、励まし応援し、共に生きていこう、という歌であると感じます。かつての近寄りがたい「孤高の歌」は、誰からも「共有され、つながれる歌」に変わり、「私」の歌は「私たちの歌」に広がりました。それが、今の小田さんの歌の強さなのではないか、と。
バート・バカラック
ギターやピアノでなく、ウクレレが軽やかに刻む3拍子のワルツ。合いの手に入る、"パパパッ パパパッ"という乾いたトランペットの三連符。小田和正 YouTube Official Channel」に以前、「『小田日和』制作日誌」という動画を偶然見つけて、とても面白く興味深いものでした。そこで、作曲者本人が「この街」について、「バカラック風に」という話をしていたのでした(私の記憶が正しければ)。
バート・バカラックは(米国の作曲家)、私は中学校時代にテレビで初来日コンサート(1971年)を聴いて、彼の独特の音楽に心を奪われました。オフコースのアルバムにも、確か「ワインの匂い」だったかに小田和正さん、相棒の鈴木康博さんのプロフィールがあり、そこに好きな作曲家として、レノン&マッカートニー、メッシェル・ルグランらとともに、バカラックの名前が記されていたと思います。
小田さん自身の言葉に触れて、イントロのウクレレは、「雨にぬれても」~「Rain Drops Keep Fallin' On My Head」(映画『明日に向かって撃て!』主題歌)の作曲家へのオマージュなのではないか、と合点がいきました。「この街」のその後の展開にも、やはりバカラックの名曲である「This Guy」や「 Living Together, Growing Together」の世界に通じるような、のどやかでヒューマンな響きが感じ取れます。
小田さんの曲と言えば、例えば「哀しいくらい」(1981年の『over』)、「緑の日々」(84年の『The Best of My Life』)のような、近寄りがたいほどに張り詰めた高音がいまだ頭を離れませんが、「この街」の歌い手はその対極のようにリラックスし、大人の優しさに満ちています。
そんなメロディーとサウンドに乗せて歌われる詞は、やはり「雨」という言葉で始まります。「雨は窓を叩き 風はさらに激しく」「人生は思ってたよりも ずっと厳しく」「夢は遠ざかり なんか切なくなる」と、詞だけを読めば暗く悲壮感がにじんできます。が、詞はそこから、まるで雨雲の切れ目からさっと陽ざしがあふれるように、「そんな時は迷わず おもういちど夢を追いかければいい」「何度でも 何度でも また追いかければいい」と大きく温かな励まし、おおらかな救いの歌へと一気に場面転換します。実にスケールの大きな歌だと思います。
さらに2番の詞は、人生に悔い悩む人の心の内へと入っていきます。「心に残る伝えられなかった想い 愛の言葉も 別れの言葉も ありがとうのひとことも」。誰の心にもある、あの時に伝えていれば、というほろ苦く切ない、取り返しのつかない追憶の痛みでしょう。
私は、オフコースの「老人のつぶやき」(75年の『ワインの匂い』の最後の曲)を思い起こしました。そこでは、ある老人がやがて来る死を前にした黄昏の中で、自分なりの生き方に悔いはないけれど、「ただ、あの人に私の愛を伝えられなかった それが心残りです」「好きだったあの人もいまでは死んでしまったかしら」とつぶやきます。この曲を聴くたびに、私はまだ20代でしたが、まるで幼い失恋の痛みのように、誰の人生の最期にもそんな切なさ哀しさが待つのだろうと気持ちが沈みました。
でも、「この街」の詞はそこからまた、聴く人の心の扉をまばゆい光とともに開きます。「その想いを 今 伝えればいい」「いつだって決して 遅すぎることはない」と。
ここから曲は、聴き手の視点を「この街」へと向けさせます。「この小さな世界 ささやかな人生 愛すべき人たち」が共に生きる街。バカラックの「 Living Together, Growing Together」(映画『失われた地平線』のナンバー)と響きあう世界です。そして、あなたが決して独りではないことを思い出して、「もういちど夢を追いかければいい 何度も何度でも また追いかければいい」と語り掛けます。
人生に何か悔いを残した人だけではなく、いま闘病している人、あったはずの未来を断念した人、つらい挫折をした人、愛を告げられなかった人、仕事をやむなく離れた人ーそうした人々、つまりは私たちみんなへの励ましであり、60代後半になった小田さんの人生経験からの言葉でありましょう。
5月7日にNHKの「100年インタビュー」を観ました。「時は待ってくれない」のタイトルで小田さんの半生と音楽を解き明かしていくという番組でしたが、そこで人生の一番大きな節目として語られたのが、98年に遭遇した自動車事故でした。「死んでもおかしくなかった。あの曲もこの曲も作ってなかった」というほどの苦難から彼を救ったのは、「生きてくれてるだけでよかった」と心配してくれたファンだったそうです。
それまで、歌はステージやアルバムから聴かせるものだったのかもしれませんが、事故をきっかけに、どうしたら気持ちを返せるかと考え、コンサートでお客の中に入っていく「花道」を作ったといいます。すると、「ほんとにうれしい顔をしてくれるんだ。昔は、恥ずかしく照れくさく、それが抵抗なく手を振れるなんてありえなかった」という自身の大転換と言える変化になり、「生きててくれてよかった、という言葉で素直になれた」と語りました。タイトルとは逆に、誰にでも「時は待っててくれるんだ」とも。
「この街」とは、そうした作者の人生の歩みから生まれ、巡り合った人々の一人一人を誰も孤立させず、励まし応援し、共に生きていこう、という歌であると感じます。かつての近寄りがたい「孤高の歌」は、誰からも「共有され、つながれる歌」に変わり、「私」の歌は「私たちの歌」に広がりました。それが、今の小田さんの歌の強さなのではないか、と。
バート・バカラック