2015/01/12 21:20

言葉にできたら~K.ODAへの思いこみ旅

 この記事のタイトルの「K.ODA」は、小田和正さんのことです。私にとって音楽へののめり込み方では、ビートルズ、大瀧詠一さんもありますが、オフコースが一番でした。青春の音楽といってよかった。ビートルズの解散は1969年、小学6年の時で、リアルタイムでの興奮やショックを知らず、レコード収集熱も高校時代になっての追体験でした。

 オフコース好きになったきっかけは、はっきりしています。東京の大学2年生だった1976年の12月。福島大にいた相馬高の同級生の下宿に泊まり、福島市郊外のスキー場に滑りに(転びに)通いました。友人らも加わった夜の麻雀のさなか、彼はうるさいくらい歌っていたのです。「あーなーたがーそーこーにいるーだーけでー わーたーしのーこーこーろーはーふるえーているー」「そのたーめいーきはー たーいくーつのーせーい」

 何なんだそれは?と迷惑がって聞くと、「オフコースの新しい歌だ」と言います。オフコース?? 彼は後で、薄緑色のジャケットのLPレコードを見せてくれました。それが、『SONG IS LOVE』(4枚めのアルバム)。繰り返し聞かされた歌が頭を離れなくなり(前者が『めぐる季節』、後者が『こころは気紛れ』)、気になって、私もついに郷里の初売りで買ってしまいました

 

 ポップな「眠れぬ夜」(75年のアルバム『ワインの匂い』収録)はラジオで聴きました。。ですが、ニューミュージック全盛のそのころ、オフコースはかなりマイナーな存在で、周囲で知らない男子がほとんどで、知っている奴からは「BUZZの系統。歌詞は少女趣味」と不人気でした。当時、仲間とフォークギターをかき鳴らす夜は、ビートルズやサイモンとガーファンクルを別にすれば、拓郎、陽水、アリス、風、かぐや姫、小椋佳(『俺たちの旅』が人気だった)、グレープ(少女趣味ぎりぎりの境界)などが好まれ、時代柄「みんなで歌って、気分よくハモれる」のが基本でした。

 それでも、私は引き込まれました。デュオだった小田さん、鈴木康博さんのハモリが、当初は聞き分けられないくらい溶け合って、メロディーもアレンジもお洒落で斬新、複雑で、謡曲っぽさとは対極にありました。何よりも2人の柔らかく美しいハイトーンボイス、繊細で都会的で大人びた詞が、満たされぬ憧れや心のうつろい、青春の切なさや痛みを、じかに刺激しました。とりわけ、小田さんの歌うのが照れくさいほど陶酔的な叙情(このあたりが“少女趣味”の評価にもなったか)と、鈴木さんの凝り性でリズミックな曲作り、やや男っぽい詞が、アルバムで交互に並び、不思議なバランスの世界がありました。(周囲の無理解の中、大学祭のフォーク喫茶で何とか(コードが難しい・・と言われながら)『眠れぬ夜』を歌わせてもらえました)

 

 ともあれ私の個人史的には、それから約40年、中断はあれども、オフコースとその後の小田さんの歌を聴いてきたことになります。「なぜか」「魅力は何か」を問うと、とても一言で語れません。あまりに多くの思い出に結びついた、人生のBGMだったからです。

 とりわけデュオの時代の歌は、よく聴きました。アルバムで言えば、73年の「僕の贈りもの」から78年の「FAIRWAY」(洗練の極致でした)までの6枚は、今でも、どの曲も空で歌えます。しかし、その後には変化が生じました。79年、3人の新メンバーを加えバンド色を強めたアルバム「Three anTwo」の内容に違和感を抱き、やや歌謡曲っぽく感じた「さよなら」の大ヒットに彼らのポリシーの変化を感じ、翌80年の「We are」(『私の願い』など名曲がありましたが)を最後に、アルバムを買い続けた歴史は途切れました。

 その違和感の通り、やがて相棒の鈴木さんの脱退話が現実になり、「2人のオフコース」の時代を愛しすぎた私にとっても、彼らから「卒業」する潮時になってしまいました。「over」(81年)、「I LOVE YOU」(82年)は、思い出した頃にミュージックテープを買って車で聴きました。ただ、「We are」と「over」をつなぐと、「僕たちは終わった」の意味のメッセージになっていたこと、小田さんの「言葉にならない」「心はなれて」などの曲が、鈴木さんとの別れに痛切な思いを込めた歌であったことを知りました。

 

 その後のオフコースが本当に解散する89年まで、そして、小田さんがソロになっての90年代は、ほとんど私の関心外のミッシング・リングになっていました。テレビで「東京ラブストーリー」を観るたびに流れた「ラブストーリーは突然に」などは例外としても。

 小田さんの歌との再会は、2000年のアルバム「個人主義」(ソロになって5枚め)でした。

 

 『不思議だね 2人が こうして 会えたこと そのために 2人こゝへ 生まれて 来たのかな
 1カ月ほど前か、ラジオから流れた歌に思わず聴きほれて、すぐCDを買ってしまった。小田和正の「個人主義」というアルバム。冒頭の曲「woh woh」をはじめ、どの歌のメロディーも詩も、優しく懐かしく、青春を過ごした1970年代のにおいを漂わせる。
 小田は、当時一世を風びしたグループ「オフコース」の元メンバー。東北大で建築を学んだんだから、仙台にファンは多いことだろう。
 昔はオフコースが大好きで、東京の大学祭のフォーク喫茶で歌ったくらい。いろんな思い出が歌に絡まっている。でも、社会人になってからパッタリ聴かなくなり、かれこれ20年だ。
 「再会」した小田は一世代上、もう52歳だが、娯楽面で見つけたインタビュー記事で語る。「みんな昔は夢を抱いていた。後ろ向きじゃなく、そのころをふと思い出すのも大切。みんな元気だそうよってね」
 職場には、生年を聞くとガックリくるような若い人が年々増えてきて、カラオケも今は肩身が狭い。でも、「70年代は遠くなりにけり」なんて言わない。帰れる原点があると思えば。

 

 これは2000年6月4日の河北新報に書いたコラムですが、初めて「個人主義」を聴いた時の上のような感想と、いま同じアルバムを聴いて心に湧くものとは違っていると感じます。小田さんのその後の「そうかな 相対性の彼方」(05年)、「どーも」(11年)、最新の「小田日和」(14年)を聴くとますます、その感を強くします。オフコースに夢中だった大学生の頃とはまったく違う力で、心が動かされ、癒されているのを感じます。時は変わり、人は変わり、予期せぬ再会があり、あの頃は聞こえなかったものが聞こえてくる―。小田さんがいま歌っている詞のメッセージそのものではないか、とも思われます。

 そこで、やってみたいことができました。自分が過ごしてきた年月で聴き忘れたもの、聴くのを拒んだもの、聴きなじんだものを、いまから過去にさかのぼってアルバムを聴き直した時、それまでのミッシングリングを埋めた時に、何が聞こえてくるか。小田さん、オフコースの時代の歌が自分にとってどんな意味があったのか、いまこの時に、どんな意味を発しているのか。そんな「言葉にできない」でいたものを言葉にして、解き明かしてみたいという「思いこみ旅」です。できたら、彼らの出発点のアルバムだった「僕の贈りもの」までたどり着けたら。

 まったく個人史的興味、価値しかないもので、更新もあてのない随時となりそうですが、時々のぞいていただけたら。


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