2011/02/09 21:30

"Facebook"と革命〜エジプトも変えた「情報の自由」

 40年も前のことを告白しますと、中学校のクラスで学級新聞を作っていた折(いちおう名称は新聞部)、仲間と思いつきで学年女子の人気投票を企画したことがありました。男子は投票で盛り上がりましたが、結果発表の張り紙は、まもなく現れた担任に没収されました。女子の冷たい視線から、自分たちがやってしまったことに気づきました。
 思い出したのは、『Facebook』という本(青志社)を読んで、女子学生の比較投票サイトづくりの話が出てきたからです。2003年、米国の大学2年だった19歳の主人公マーク・ザッカーバーグ氏の行為は、当然ながら学内で大問題になりましたが、その事件が、世界にいま4億人のユーザーがいるという交流サイト“Facebook”の原点になったと知りました。

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 母校のハーバード大は誰もが知る名門ですが、歴代大統領らを輩出した8つのエリート結社的な社交組織から、スポーツなどの部まで伝統的かつ排他的な縦割りの人間関係があるそうで、どこに属するかで将来や異性関係の成功も約束される−という狭き門への競争と疎外への恐怖を侵入学生は強いられる状況が、本では描かれています。
 また、同書によればザッカーバーグ氏は、着想したそのサイト(“Facemash”)を立ち上げるため、これまた伝統的な学生寮ごとに分断された学生名鑑(写真付き名簿)を、可能なものは寮のサーバーに易々と侵入してダウンロードし、それができない寮には夜中に忍び込んで、見つけたパソコンから目的のデータを取り込んだ−とあります。要するに「ハッカー」行為ですね。
 そうして創った新サイトは、数人の友人に試してもらうつもりでリンクのメールを出したところ、次々と転送されて、2時間後には22000人の投票があり、本人がネットの怖さに驚いてサイトを閉鎖したそうです。(担任に没収され叱られた時代の話では、もはやありません)

 映画「THE SOCIAL NETWORK」(社交のネットワーク)の原作とされる同書は、ザッカーバーグ氏からインタビューを一切拒まれ、彼のブログや取り巻いた人々への取材などを基に書かれたとのこと。新サイト立ち上げ時の経過も、当時のブログに克明に語られている、と筆者(ベン・メスリック)は記し、その心境をこう代弁しています。
 「『大義』とは何か。それは『情報の自由』と呼ばれるものだろう。(中略)情報は共有されるためにある。画像は見られるためにある」(前掲書より引用)。エリカという女子学生にフラれたことが動機と映画は描いていましたが(ご当人は否定したとの話)、行動の核心には不自由で閉塞したキャンパスの現状を打破したい、という情熱と欲求があったのかもしれません。 
 そういえば、内部告発サイト“WikiLeaks”の創始者ジュリアン・アサンジ氏も、16歳ころからハッカー行為を始め、そのころの信条には「情報を共有する」があったといいます。(本ブログ『私選・2010年一番のニュース〜流出・告発とネット時代』参照
 創りあげたツールの外観は全く違いますが、その根っこに共通する精神があったらしいのは興味深く思われます。

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 “Facebook”は、サイト上のそれぞれのページに日々のアルバムを設け、そこにコメントを投稿し合ったり、別の友人を誘ったり、そうした「友人」のリストに載せた中から共通の知人を見つけたり、新たな交流相手を探したりして楽しみ、交流を広げてゆく「社交のネットワーク(人脈)」づくりの場です。
 私もユーザーです。さかのぼると2008年11月が最初です。米国の友人から「こういう便利なサイトがあるから、キミもやってみろ」とメールで誘われ、写真での近況報告を始めました。以前、留学で7カ月を過ごした同国の大学の友人らとの接点づくりから、だんだんと「友人」は増えて、私の“Facebook”にも今、56人が登録されています。
 いちいち写真を個別、複数の相手にメールに添付する必要がなく、「友人」のネットワークで共有できるので、ちょっとした近況の変化もニュースとして知ることができます。“画像付きのTwitter”のように使ったり、実際に居合わせた現場の出来事を投稿したりする人もいます。とりわけ外国の取材現場などの写真をリアルタイムで紹介されれば、ニュースそのものになります。
 それらの機能を備えた「成長する社交の場」こそが、幾多の「出会い」のサイトとは違うザッカーバーグ氏の発明とされ、彼は世界最年少で億万長者番付の住人になったのでした。ハッカー的着想と行動から創られた大学内の自由な社交サイトが、わずか数年のうちにカネと欲、裏切りにまみれた巨大ビジネスと化してゆく経過を、、『Facebook』という本は面白く読ませます。

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 世界中に4億人を超える利用者がいるという“Facebook”に、『We are all Khalad Said』という名前のページがあるのを知りました。Khalad Saidとは28歳の男性の名で、「我々はみなKhalad Saidだ」という意味。このサイトからこの2週間ほど、目を離せないでいます。

 エジプトの大都市アレキサンドリアの小柄なビジネスマンだったというKhalad Said氏は、街のネットカフェにいたところを突然、警察官たちに引きずれ出され、暴行を加えられ死亡しました。彼は、警察官たちが押収品のドラッグを横流しする様子をとらえたビデオ映像を、自身のブログから流し、その行為に対する報復だったとみられています。
 エジプトの警察の腐敗に対する市民の反感は強く、政府よりのマスメディアでなくネット上で告発する運動が広がっていたそうです。彼の死はネットで瞬く間に広まり、「われわれに対する脅しだ」と憤る声とともに、この事件をはじめ警察による市民虐待などをを告発する、『We are all Khalad Said』のページが立ち上がったそうです。
 
 独裁者を追い出した隣国チュニジアの市民革命を機に、『We are all Khalad Said』に集う怒りの声も、1981年以来続くムバラク大統領の政権そのものへ向けられ、「自由を取り戻せ」とのメッセージを発します。
 エジプト国内の批判的な人々を正規の法手続なしで逮捕し、 Khalad Said氏を拘束し暴行死させたものも、31年間もフェアで民主的な選挙がなかったのも、政権とともに続く「非常事態法」のためだったからです。
 、『We are all Khalad Said』には、アレキサンドリアや首都カイロなど、各地に広がったデモの生々しい映像や暴行された人の姿、運動に参加した人々の証言、連帯と決起を呼びかける投稿、海外の支援のデモの様子やメッセージなどがあふれ、さらに互いに離れた街にいる市民たちのリアルタイムの情報交換の場になっているようです。1つ1つの正誤を検証をする間もなく情報は流れ、事態は動いてゆきます。
そして、2月12日の早朝、絶大な権力から「ファラオ」と呼ばれたムバラク氏がついに辞任、というニュースが飛び込みました。

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 チュニジアの「ジャスミン革命」(国花にちなむ)は、同国の政権腐敗を伝えた米国の外交公電が“Wikileaks”で暴露され、それが引き金ともなって、やはり“Facebook”が大きな役割を果たしたと言われます。
 「情報の自由」を大義としたザッカーバーグ氏は、かつて大学の古い体制に風穴を開けた「社交のネットワーク」が、無数の叫びをエネルギーとする巨大台風のように進化を遂げた今を、どう見て、何を語るでしょうか。

 7〜8年前、私が米国に滞在した当時の「新しいメディアのチャンピオン」と言われたのは、韓国でインターネット新聞「Ohmynews」(オーマイ・ニュース)を創ったオ・ヨンホ氏でした。当時、多様な職種・地域から募った市民記者とプロが協働し、保守的なマス・メディアが書かないような政権批判のニュースを発信。世論を政権交代へと動かしました。
 06年、私が東京でインタビューの機会を得たヨンホ氏は、「ネットという自由な発信の場がある今も、なぜ、プロだけが記事を書き、大手メディアだけが情報を独占しているのか?」と問いました。おそらくその信条の根っこは、後進のザッカーバーグ氏にもながっているように思えます。

 ただ、“Facebook”を使ってエジプトから世界にリアルな「今」を伝えている人々は、もはや「市民記者」fではありません。時代は既にヨンホ氏の革命を追い越して、まさに誰もが発信する時になったのだ−という現実を受け止め、1つの政府をも打ち倒すほどの新たな情報メディアの革命の推移を、息をのんで見入るほかありません。
 遙かに離れた日本からでも、いますぐ、『We are all Khalad Said』にメッセージを送り、新聞の国際ニュースの現場に飛び込むことも可能なのです。さながら、ドラえもんの「どこでもドア」の1つの実現の形でしょうか。
 その先にどんな社会や政治のシステムが生まれるのか、あるいは情報を握り操る者が力を得る−という「情報の自由」の大義とは逆の世界になるのかは、まだ予想もつきません.。