2011/01/10 18:30

101人に聞いた、「わたしの1冊」

  いろんな本が日々生まれ、新聞社にもたくさんの新刊が届きます。有名無名さまざまな作家の小説、こつこつと書きためられた自費出版本、素人には読みきれぬ学術書、「いま話題の〜」と帯が付く新書類やノウハウ本、企業のPR本、健康や料理、ビジネスにタレントの本…。

  ある本は書評担当から選ばれ、ある本は記者の目に留まって取材のタネになり、選から漏れた本たちは机に積まれ、棚に眠りー。活字離れ、出版不況のさ中といいながら、世に出る本は増えており、2009年の新刊点数は78,555部(前年比 2.99%)と、20年前の2倍でした(出版指標年報より)。むろんベストセラーなど一握りで、多くは忘れ去られ、また新たな本が生まれてくる。
  そんな一冊一冊の本との「人生の出合い」となると、これはもう奇跡的な出来事にも思えてきます。

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  「仙台 本のはなし 24人でつくりました」という題の新刊書(写真)が新年早々、私の机に届きました。
  仙台文学館が09年秋に「本を作ってみよう」というワークショップを催し、24人の市民有志(相馬市、福島市からも2人)が1年がかりで手作りした本だそうです。
 
 「街へ出よう 本を探しに」の見出しで、書店やブックカフェ、古本や絵本の店などの主人らが、本探しの散歩の楽しみを伝授したり、共に仙台在住の俵万智さん×伊坂幸太郎さんの対談や、「樅の木は残った」(山本周五郎)など小説を通した仙台歴史考があったり。「オリジナルのこんな本を作って、読んでみたい」という本好きの人たちの熱が伝わってきます。
 
  なかでも、これぞ手作りの『本のはなし』という労作が、『101人 わたしの1冊』という企画です。
  参加者たちの最初のディスカッションで、「わたしたちとって、そもそも本ってどんな存在? 100人にインタビューしてみよう」という案が出され、6人の賛同者が集ったとのこと。
  さらに、「100人では自己完結しちゃう。無限の伸びしろを意味する『1』を加えて、101人にしよう」との話になった−と、まとめ役になった関口怜子さん(子どものアートスタジオ・BE−I主宰)に伺いました。

  それによると、まず担当の仲間6人で101人をリストアップ(それぞれの知ってる人、面白そうな人、聴いてみたい人)することから作業が始まり、昨年5月から3カ月を掛け、2人ペアになってインタビューに東奔西走。 連絡先を調べ、アポイントを取ることだけでも大仕事なのに、話を聴いて、その上に文章をまとめる作業もありました。正確な題名や出版データの確認も含めて。
  「大変は大変だったけど、取材の面白さに味を占めちゃったの」と関口さん。
  「わたしの1冊」を聴くことは、とりもなおさず、「いま、ここでこう生きている」ことの始まりや転機、その時代や境遇、悩みを聴くことであり、101人分の人生の時間を追体験する旅のようなものだった、といいます。
  「聴いただけでは足りなくて、図書館に行ったり、取り寄せたりして、それらの本をできる限り読んでみました。自分たちも知らなきゃ、書けませんから」。メンバーたちはまさしく、「1冊の本」の海に飛び込んだのでした。(以下、文中コメントの引用は同掲書から)


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  「主人公の少年と自分の境遇に似たところがあると思い込んで、すっかりはまり込んでしまったのです。自分の人生と重ねあわせ、この小説通りに生きてゆこうさえ思いました」
  昨年4月に亡くなった劇作家井上ひさしさん(元仙台文学館長)の「わたしの1冊」からの引用。チャールズ・ディッケンズの『デイヴィット・コパーフィールド』(中野好夫訳・新潮社)を高校3年の夏休みに読んだそうです。
  井上さんは当時、生活苦のため母親から預けられた仙台の先のラ・サール・ホーム(孤児の養護施設)の庭で、やはり孤児院生活から苦労して作家になった英国の大文豪に思いをはせ、「涙と勇気と希望が1度にあふれ出しました」と語りました。

  1冊の本との出合いが、人生の羅針盤を回す。そうした体験が、詩人の武田こうじさんにもありました。
  アルチュール・ランボーの『感覚』という詩を読んで、「どこか違うところに連れて行かれたような不思議な気持ち」になり、「これだ! ぼくは生きている! この詩の中にずっといたい!」と、自分も詩人になろうと思ったそうです。
  この詩はランボーが15歳で書いて、詩人になる予感に満ちているといわれ、時を超えたメッセージとして武田さんに響いたのかもしれません(『ランボー詩集』・清岡卓行訳/河出書房新社)。

  ジューリーデザイナーの種澤節鴻(せつこ)さんは『小公女』(バーネット・水島あやの訳/講談社)を、旧満州(中国東北部)にいた5歳のころ、塀をはしごで越えて、隣家のお姉さんに毎日読んでもらいました。
  「赤いプリンセスラインのオーバーコートを着て黒い編み上げの靴をはいた」主人公ら、夢のような世界をビジュアルに思い描いていたそうです。  「その感覚がきっと、いまのお仕事までつながっているのね」とは、インタビューした関口さんの感想です。

  「ニルスがガチョウに乗ってヨーロッパを見下ろすあのわくわくした思いが忘れられません」と、『ニルスの冒険』(セルマラーゲレーフ/学習研究社)を挙げたのは、農家レストランを宮城県加美町で営む渋谷文枝さん。
  「ニルスの国に行ってみたい」という夢が、その後の人生で外国への憧れとなり、懸賞論文でドイツの農村生活を視察するチャンスをつかみ、ふるさとでの農家レストラン実現に広がったといいます。 

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  「ただ何げなく聴いていた、読んでいたものの意味が、何十年かして、ふっと別な何かとつながって、このことだったのかな、と降ってくることがありますね。初めてリアリティを帯びるように。
  だから、若き日の歌も本も、その人と一緒に生きていて、意味を知る鍵が見つけられる時を待っている、なんて言えるのかもしれませんね」 
  これは、本ブログの『「秋の気配」を思い出せば…吟遊詩人と恋』のコメントに記した一文です。『わたしの1冊』は、その感慨を深めさせてくれました。
  本を読むという行為は、種まきをするようなもので、それからの日々の実体験が「耕し」に当たり、やがて恵みの「雨」がやって来て、その人の人生に種が芽吹く。その芽吹きが、いつしか人を豊かな「智恵の森」にする−。

  小学校教諭の高地則子さんは10歳の時に『王子と乞食』(マーク・トウェイン/集英社、角川書店)を通して、「立場を変えるとモノゴトの考え方や見え方が違ってくる」ことを発見し、大人になっても繰り返し読んできたそうです。
  丹野六右衛門さん(お茶丹六園園主)は小学5年生で『泣いた赤鬼』(浜田廣介/講談社)を読んで、「自己犠牲なんて(中略)自分に出来るんだろうか、なぜ真実を村人に話さなかったのか」と悩み、どう解決するかは自分なりの考え方をしていいんだ、と学んだといいます。

  101人の中に、ノンフィクション作家柳田邦男さんの顔がありました。企画メンバーの1人が以前、柳田さんの仙台での講演を聞いて、ぜひ、とお願いしたら、快く引き受けてくれたとのことです。
  柳田さんが挙げたのは、子ども時代に小遣いで買ったという『フランダースの犬』(ウィーダ 森山京・文/小学館)でした。ちょっと意外でしたが、読んで納得できました。

  他界した父親に重ね合わせてネルロ少年に共感し、泣きながら読んだ−とあった後、「息子が亡くなったあとに、また読み返したら『ああ、神様、これで十分でございます』っていうネルロの言葉に出会いました」との一節が。 柳田さんが『犠牲(サクリファイス)—わが息子・脳死の11日』 (文春文庫)につづった次男の自死という出来事の後日談でした。
   「自分の人生も、死をも全面的に受け入れている言葉だったんですね。ネルロも息子も、納得して死を迎えたんだって、本が教えてくれました」。 これを読んだ私も、胸を衝かれたような思いになりました。

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   「101人 わたしの1冊」には、じつは私の1冊も入っています。『百万回の永訣−がん再発日記』(中央公論新社)です。
  著者のノンフィクション作家柳原和子さん(故人)のことは、本ブログ『「ナラティブ」を聴く 〜がん医療の現場からの声』で紹介しました。知っていただきたく、どうぞお立ち寄りください。
  「当事者と他者」をめぐる問題に悩んでいた06年夏、この本を読んで砲弾を浴びたような衝撃を受け、いても立ってもいられず、百日紅が咲く猛暑の京都に著者を訪ねたのでした。

  そうしたら「わたしの1冊」で、仙台市生涯学習課の白井浩さんが「小学6年で先生になることを決意させてくれた本」と、『師弟物語〜矢と歌』(太田俊雄/聖燈社)を紹介。 世界に開かれた教育の実践者として日本キリスト教団の敬和学園高校初代校長になった著者を、新潟に訪ねたというお話を語っていました。
  同じような体験をした人がいることが嬉しくなったのとともに、本もまた「人と人をつなぐメディア」であると、あらためて認識しました。

  さて、「あなたの1冊」は、何でしょう?  




『仙台 本のはなし 24人でつくりました』(仙台文学館刊)



『101人 わたしの1冊』と、6人の企画メンバー(左頁)