2009/09/02 00:54
同窓会〜何者でもなかったころ
先日、このブログで紹介した宍道湖の夕陽を見ていた日に、聴き逃した仙台のコンサートがありました。
東北大混声合唱団50周年記念の現役・OBOGの合同演奏会。私自身にゆかりはないのですが、合唱団OGである部の同僚から「チケットありますよ」と勧められていました。曲はもちろんいいのだが、じつはちょっとしたサプライズもある、とのお話でした。
8月25日付の本紙県内版をお読みになった方はご存知と思いますが、合唱団OBの小田和正さんが参加したのです。記事の写真では、トップテナーのポジションに、そのお顔を見つけることができました。
演奏会はいわば同窓会。旧友と声を合わせ、ロビーでも、誰から気に留められることもなく溶け込んでいたよ、と同僚。 私も少々の経験があるのですが、合唱団は歌うだけでなく、一年中ほんとうに濃い仲間づきあいになります。建築の学生だった小田さんにとっても、「あのころの、何者でもない自分」のいる場所なのでしょう。
お互いが何者になったかということが一番の関心事かと思っていたら、「何者でもなかったあのころに戻って、まるであのころのように、無駄で豊かな時間を共有できる」のが同窓会の醍醐味であったー。
卒業後27年にして高校の同窓会に初めて出たという歌人の俵万智さんは、くらし面連載の「木馬の時間」でこうつづっていました。
昔のオフコースで小田さんの相棒だった鈴木康博さんに、仙台でのライブの折、娯楽面の取材で話を聴いたことがありました。彼は同じ大学生のころ暇をつくっては車にギターを積んで東京から、仙台の小田さんの下宿に通ったそうです(自動車道もないころ)。曲を作ったりライブをしたり、コンテスト(ポプコンの前身)の宮城県予選に出たり。「コースを外れて」(off course)を名乗った彼らのデビューは、フォークの時代の1970年だったか。仙台は彼らの青春の地、発祥の地なのですね。
9年前のアルバム「個人主義」あたりから、小田さんはエッセイのような味わいの曲をつくるようになり、温かく、懐かしく、大人の強さのある歌が増えました。でも、その核には心切ない痛みを感じます。私が初めて聴いた1973年のオフコースから、それだけは変わらないものに思えます(コードばっかり難しい少女趣味、と当時ギター弾きの友から言われましたが)。「何者でもない自分」がずっと、そこにいるのでしょうね。
結局それは、聴いてきた人それぞれの変わらぬ「何者でもない自分」を確認することでもあるのでしょう。誰にとっても、それが青春の歌というもの。それを分かちあえる歌の同窓会とは、なんとすてきなこと。
聴き逃したのが、いまさらながら残念に思えます・・。
東北大混声合唱団50周年記念の現役・OBOGの合同演奏会。私自身にゆかりはないのですが、合唱団OGである部の同僚から「チケットありますよ」と勧められていました。曲はもちろんいいのだが、じつはちょっとしたサプライズもある、とのお話でした。
8月25日付の本紙県内版をお読みになった方はご存知と思いますが、合唱団OBの小田和正さんが参加したのです。記事の写真では、トップテナーのポジションに、そのお顔を見つけることができました。
演奏会はいわば同窓会。旧友と声を合わせ、ロビーでも、誰から気に留められることもなく溶け込んでいたよ、と同僚。 私も少々の経験があるのですが、合唱団は歌うだけでなく、一年中ほんとうに濃い仲間づきあいになります。建築の学生だった小田さんにとっても、「あのころの、何者でもない自分」のいる場所なのでしょう。
お互いが何者になったかということが一番の関心事かと思っていたら、「何者でもなかったあのころに戻って、まるであのころのように、無駄で豊かな時間を共有できる」のが同窓会の醍醐味であったー。
卒業後27年にして高校の同窓会に初めて出たという歌人の俵万智さんは、くらし面連載の「木馬の時間」でこうつづっていました。
昔のオフコースで小田さんの相棒だった鈴木康博さんに、仙台でのライブの折、娯楽面の取材で話を聴いたことがありました。彼は同じ大学生のころ暇をつくっては車にギターを積んで東京から、仙台の小田さんの下宿に通ったそうです(自動車道もないころ)。曲を作ったりライブをしたり、コンテスト(ポプコンの前身)の宮城県予選に出たり。「コースを外れて」(off course)を名乗った彼らのデビューは、フォークの時代の1970年だったか。仙台は彼らの青春の地、発祥の地なのですね。
9年前のアルバム「個人主義」あたりから、小田さんはエッセイのような味わいの曲をつくるようになり、温かく、懐かしく、大人の強さのある歌が増えました。でも、その核には心切ない痛みを感じます。私が初めて聴いた1973年のオフコースから、それだけは変わらないものに思えます(コードばっかり難しい少女趣味、と当時ギター弾きの友から言われましたが)。「何者でもない自分」がずっと、そこにいるのでしょうね。
結局それは、聴いてきた人それぞれの変わらぬ「何者でもない自分」を確認することでもあるのでしょう。誰にとっても、それが青春の歌というもの。それを分かちあえる歌の同窓会とは、なんとすてきなこと。
聴き逃したのが、いまさらながら残念に思えます・・。