Cafe Vita

 このブログは、仙台在住のジャーナリスト、寺島英弥が2009年から職場で暮らしや文化、日々の出来事をテーマに書いており、11年3月の東日本大震災で中断したままになっていました(以後のブログは『余震の中で新聞を作る』をご覧ください)それから6年ぶりに、もはや職場とは関係なく、また書き出そうと思います。

2009/09/02 00:54

同窓会〜何者でもなかったころ

 先日、このブログで紹介した宍道湖の夕陽を見ていた日に、聴き逃した仙台のコンサートがありました。

 東北大混声合唱団50周年記念の現役・OBOGの合同演奏会。私自身にゆかりはないのですが、合唱団OGである部の同僚から「チケットありますよ」と勧められていました。曲はもちろんいいのだが、じつはちょっとしたサプライズもある、とのお話でした。
 8月25日付の本紙県内版をお読みになった方はご存知と思いますが、合唱団OBの小田和正さんが参加したのです。記事の写真では、トップテナーのポジションに、そのお顔を見つけることができました。

 演奏会はいわば同窓会。旧友と声を合わせ、ロビーでも、誰から気に留められることもなく溶け込んでいたよ、と同僚。 私も少々の経験があるのですが、合唱団は歌うだけでなく、一年中ほんとうに濃い仲間づきあいになります。建築の学生だった小田さんにとっても、「あのころの、何者でもない自分」のいる場所なのでしょう。

 お互いが何者になったかということが一番の関心事かと思っていたら、「何者でもなかったあのころに戻って、まるであのころのように、無駄で豊かな時間を共有できる」のが同窓会の醍醐味であったー。
 卒業後27年にして高校の同窓会に初めて出たという歌人の俵万智さんは、くらし面連載の「木馬の時間」でこうつづっていました。

 昔のオフコースで小田さんの相棒だった鈴木康博さんに、仙台でのライブの折、娯楽面の取材で話を聴いたことがありました。彼は同じ大学生のころ暇をつくっては車にギターを積んで東京から、仙台の小田さんの下宿に通ったそうです(自動車道もないころ)。曲を作ったりライブをしたり、コンテスト(ポプコンの前身)の宮城県予選に出たり。「コースを外れて」(off course)を名乗った彼らのデビューは、フォークの時代の1970年だったか。仙台は彼らの青春の地、発祥の地なのですね。

 9年前のアルバム「個人主義」あたりから、小田さんはエッセイのような味わいの曲をつくるようになり、温かく、懐かしく、大人の強さのある歌が増えました。でも、その核には心切ない痛みを感じます。私が初めて聴いた1973年のオフコースから、それだけは変わらないものに思えます(コードばっかり難しい少女趣味、と当時ギター弾きの友から言われましたが)。「何者でもない自分」がずっと、そこにいるのでしょうね。
 結局それは、聴いてきた人それぞれの変わらぬ「何者でもない自分」を確認することでもあるのでしょう。誰にとっても、それが青春の歌というもの。それを分かちあえる歌の同窓会とは、なんとすてきなこと。

 聴き逃したのが、いまさらながら残念に思えます・・。





2009/08/30 19:31

長い、長い夜

 みなさま、投票には行かれましたか?

 国政選挙の投開票日の夜、新聞社ではいつも、明け方近くまでの長い、長い一夜になります。東北6県に選挙結果を網羅した紙面を届けるため、取材や紙面づくりの現場の大勢の記者が、それぞれの役割、スケジュールにそって大忙しの作業に追われます。戦国の合戦場のような、といった表現がぴったりのような。

 政権選択が掛かった今回の選挙、有権者の関心も、ひときわ大きいかったことでしょう。くらし面の担当の記者たちも、「明日が描けない 09衆院選を前に」と題した連載に取り組みました。

 昨秋来の不況と雇用不安、新しい貧困と呼ばれる状況の中の家族、破れたセーフティネット、弱い立場の人を支える側の疲弊…。1年半以上にわたって連載してきた企画「不安社会」(本紙サイトKOLNETの『特集』をご覧ください)の取材の縁を生かし、くらしの現場で出会った人々の生きた言葉を伝えました。

 派遣という仕事を選んで10年続く「あり地獄」のような雇用不安に苦しむ人、支援制度の谷間におかれた発達障害の人の就労難。低い賃金に前途を迷う介護職の人、わが子の進学の夢と生活保護打ち切りのはざまで悩む母親もいました。私も読んで、 「ささやかな幸せ」という一番素朴な言葉さえ失われ、いつしか耳にしなくなっていたことを思いました。

 「選挙の主体」とは、政党や候補者でなく、一人一人の有権者です。誰が勝つか?という関心よりも、まだ語られていない、くらしの中からの声を響かせ、「人の幸せや、生き方の形ってなにか?」を読む人に共に考えてもらえたらー。くらし面とは、そんな日々新しい「場」づくりです。

 さて、どんな一票の選択がなされたことでしょう。

2009/08/26 04:23

夕陽タクシー?

 ある後輩が「故郷の歌です」と、森高千里の「渡良瀬橋」をよく歌ったものです。その最後の「夕陽がきれいな町」という詞がとても印象的で、それだけで行ってみたいと思いました。

 最近、生まれて初めて山陰に旅し、松江の宍道湖畔に宿を取りました。宍道湖といえば、しじみが有名ですが、「宍道湖の夕陽を見てきてよ」という、地元出身の友人のお薦めがあったからです。

 私は“夕陽マニア”で、いままで一番感動したのは、津軽の金木町(いまは五所川原市)で野焼きの煙立つ冬の田んぼからながめた、岩木山を真っ赤に染めた夕陽です。寂しさの美に、泣けそうになりました。

 宍道湖の場合は、ちょっと違いました。ホテルで「夕陽タクシー、ご予約なさいますか?」と声をかけられました。ええ、夕陽タクシーって??
 
 つまり、ちょうど夕陽が迫る頃合にタクシーが待っていて、最高のビューポイントという湖の対岸の島根県立博物館前まで連れて行ってくれるのです。その往復と、夕陽を愛でる間の待ち時間を込みにして800円。
その日は地元で久々の夏空が広がり、時刻になると玄関にタクシーが並び、老若のカップルらが続々出発していきます。もちろん、私も。

 5分ほどで着いた博物館前は、嫁ケ島という小島の向こうに夕陽が落ちるのが見えるところ。展望のテラスが水際まで設けられ、そこに、ざっと100人近い見物客が、カメラやケータイを構えて絶景を待っていました。
 やがて、夕陽と湖面はどんどん赤みを増し、赤い点となって山の端に沈み、上空をバラ色の夕焼けに染めて、やがて蒼い夜空に溶けていきました。約1時間のうちに何度、「ほうー」という声が上がったことか。
 「堪能しましたかぁ。松江に来たら、これですよぉ」と運転手さん。長い待ち時間の後の帰り道も、夕陽談義のもてなしでした。

 夕陽はひとり寂しくながめることに醍醐味ありと思っていましたが、ここのは、みんなで楽しむ夕陽のショー。夕陽が特産品、いやブランド品
になっていました。もちろん、山陰の情趣、ゆかりの小泉八雲のイメージも旅人の心を誘います。夕陽タクシーは、松江市内の多くのホテル・旅館とタクシー会社がタイアップしているといい、もちろん湖上のサンセット・クルーズも。「夕陽が、まちおこしになるのだなあ」と思いました。

 これも最近の話。東京の友人が「仙台がますます好きになりました」と語りました。仙台を仕事で訪れた折のこと。その人はかつて、仙台の大学も受験しようかと思ったほど「青葉城恋歌」が好きで、タクシーの中でその話をしたそうです。すると、運転手さんがさっとテープを出し、歌を流してくれたのだそうです。その心配りに「感激しました・・」と友人。
 こんなBGMのもてなしで、車窓を流れる仙台の街の景色も魔法のように、夕陽に劣らぬブランド品に変わるのですね。「青葉城恋歌」も立派な文化財です。



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